1972年舞鶴市民病院にて僕は誕生しました.
それからずっと気ままに舞鶴でくらしてます。
小橋と泉源寺の両親から生まれた僕は自分の先祖がいつから舞鶴に
いたのかすごく興味があり調べようとしても手がかりが何もない。
わかっているのは江戸末期に建てられたお墓ぐらいである。
小橋と泉源寺といえば舞鶴でも古くから人が生活していた村だけに
余計に気になる。きっと自分の先祖が見たであろう山や海また寺院
などを今自分が見ているという事に不思議さを感じます。
僕が郷土史に興味をもった原点はそこにあるような気がします。

TVゲームといえば低学年の頃はブロック崩しなど一つのゲーム機で
一つのゲームしか出来ない物でした。ところが、高学年の頃になると
カセットを交換すると違うゲームが出来るファミコンが登場!!
エキバイ、マリオ、ゼビウスなど夢中になりました。
その一方、冒険手帳を片手に山、川、海でいつも遊んでいました。
今思えば豪快な事をいくつもしていたような気がします。
例えば、祖母谷川の河口で友達とイカダ作りをしました。(五人乗船可能)
イカダは完成し何度か川上へ向けテスト走行をしました。
「よーし!海へ向けいざ出発!!」
と、その時一隻の船が海から帰ってきました。
「わーっ!やばい!波がくるー!」
出発して30m程行った所でした。
「つぶれるー!」
あれよあれよという間にイカダはバラバラ!! コッパミジン!!
びしょ濡れで岸まで帰り、そのあとは大爆笑!!
 どこか遠くまで行きたいと思ったのも小学生の頃でした。
最初に自転車で校区外に行って道に迷った事は今でも覚えています。
未知の場所ってこんなにおもしろいんだ。衝撃的でした。
その頃から地図が好きになりよく愛読しておりました。
 ボーイスカウトに入りキャンプや山登り、ハイキングなど
アウトドアの楽しみを知ったのもやはりこの頃でした。

自己紹介
爆走中!
20歳代
30歳代









いつか行ってみたいと思っていた北海道に行くことが出来ました。
と言っても高校生の僕にはお金がなく、夏休みにアルバイトをして
それを資金にフェリーで北海道へ旅立ちました。
北海道は想像通りのところで、いやいや想像以上の所でした。
広い牧場、牛、馬、とうもろこし、じゃがいも、牛乳、とにかく
当時北海道を連想したものを一通り体験し体感しました。。。
それから数年間で北海道には何回か冒険に出かけました。
19歳の時、バイクで日本一週を旅しました。
舞鶴から出発し右回りに北海道まで行き太平洋側を南下し
沖縄を一周して、日本海側を走り、約一ヶ月で舞鶴に帰ってきました。
とにかく日本は広いな〜と、しみじみ感じることができましたね〜
北海道の釧路あたりでは雪が降っており、それから10日程走り
沖縄で海水浴を楽しみました。
また機会があれば三ヶ月ぐらいかけて日本一週をしたいですね〜。


中学生時代
桜特集!
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1年生、2年生の頃にバンドブーム到来!!
ギターとスケボーで遊ぶ毎日が続いた。
3年生になると、だんだんまた虫が湧いてきました。
「何か大冒険がしたい!!自転車で遠くへ行きたい!!」
その頃、ゴダイゴのガンダーラという曲を聴いておりました。
西遊記のテーマ曲で西へ旅するという歌詞でした。
「よし!!西へ行こう!!目指すは九州阿蘇山だ!!」
その日から毎日学校へ地図帳を持って行き一日の走行距離
野宿する場所など念蜜な計画をたてた!!期間は夏休み!!
しかし、しょせん中学生、危険が大きすぎる、親が許す訳がない
とりあえず、一人ではまず無理と判断!他に3人の仲間をつくった
みんな乗る気まんまんだ!!
とにかく親の許しをもらうのに悩んだ。 ふとひらめいた
親をせっとく出来る人の許可をもらえば親も許すのでは…
「みんな共通しているのは学校の校長だ!!」
ありっだけの資料を抱え4人で校長室へプレゼンに行った。
一通り説明したあと校長が言った
「行って来い!!今しか出来ない事をやるんだ!!」
「よし、校長の許可をもらった!!つぎは親を説得だ!!」
という事で、友達の家で親子集会を開く事にした。
やはり親が一番心配なのは事故である。
今の時代とは違い、事件に巻き込まれるという話は出てこなかった。
一日最低一回家に連絡をするなど、親が安心出来る約束を交わし
あとは、情熱で親の許しを得た!!
今思えば若い情熱で乗り切ったような気がします。
 いざ出発!!
思いつく限りの装備を整え、資金一人2万円を持ち舞鶴をあとに
しました。
 ここからの冒険談は果てしなくながくなるので残念ながら省略
することにいたしました。しかし、いつか発表したいと思います。
いやいや、是非発表させてください。。
人生最高の夏休みでした。

20歳代になり、まだ行ったことのない海外に魅力を感じてきました。
25歳の時に初めての海外!タイのバンコクに行きました。
とにかく衝撃が大きかったですね〜。当たり前ですけど、日本とすべて
が違う!物価が日本の約10分の1で、500円出せばベンツのタクシー
に乗れ、とにかくわざと大きく勘違いをして楽しみました。
しかし、バンコク市内を歩くと、地雷が原因でしょうか?体の不自由な子供
たちをよく目にしました。宗教の信仰が熱くみんな生きるために真剣に
毎日を過ごしている事がすごく伝わってきました。
それから、一年ぐらいバンコク、マレーシアにはまり月1で一泊三日などで
出かけました。

やっぱりこの年頃の口ぐせと言えば「まいづるは何にもないしおもしろないな」
です。 ならば 「自分たちでおもしろい街をつくればええんや」!
そのころ、人の縁もあり「まち遊びフェスティバル」というイベントにたずさわる
事になり、あいている全ての時間、全ての体力、全ての知恵を使い
楽しい街づくり、若者が楽しいと思える街づくり、引いては楽しむ自分づくり
に全力投球しました。
そのころ、あつかましくも新聞などに掲載させて頂くことになり、少し紹介させて
いただきます。

10歳代後半