鬼住峠B
(田辺街道)
清水 〜 鬼住峠頂上 〜 遊里
2012/01/22
その昔、京都から舞鶴へと続く道は若狭街道で始まる。
京都→鷹ヶ峰→京見峠→緑坂峠→漆谷峠→神楽坂→鶴ヶ岡から田辺街道へと分岐→
洞峠→そして田辺に到着する最後の峠が鬼住峠である。
また、京都から丹後へ行く道もこの道を使っており、歴史的に名のあるお方も歩いた記録が残っている
前回(鬼住峠A)! 遊里から鬼住峠頂上まで挑戦してみた!が・・・・雪の為即断念!
と、言うことで、今回、清水ルートから登り、遊里ルートに降りてくるコースで挑戦した!
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AM 7:55 「清水」 START地点! とりあえず記念写真!
おおー。道にゴザが敷いてある! おそらくすべり止めと思われます。。
取り付きの確認!
なんてすばらしい古道だ!幅 2m 程の道!
かなり深く掘られています
これはただの山道ではなく街道だということを確信した!
いい感じの道・・・
レイヤリング調整! 今回はいつもの藪漕ぎではない! 確実に古道を感じられる!
その感動が頭からはなれない!
雪の上のもみじがきれいだったので写真を撮ってみたのだが・・・・いまひとつ。
太陽がやっと出てきました!
やはり太陽が出るとうれしいです
くねくね同じ幅の道が上に続いているのが写真でわかるでしょうか?
この穴はなんだ?・・・ 何か石塔が建っていたのか?・・・そんな感じでした。
なにか建物発見!
この作りの建物は遊里の登り口にあったのと同じ感じだ
うーん? 材料は使いまわしにされているみたいだ!補修もしてある!
しかし、ここにあったであろうお地蔵さんの姿がない! なぜだ?
しばらくあるくと若干景色が見えた!
雲海だ!
・・・・・・・・・・
稜線上にでた!ここは鬼住峠より標高的に高い位置にある
地図ではここから南方向へトラバースすることになる
あいかわらずのすばらしい道。
ほぼ水平に歩いてます。
この稜線が舞鶴と綾部の境になります。
鬼住峠@の時、JUNくんがゴトクをわすれてきてしまった! のがこのあたり・・・捜索不能!
いい雰囲気!
おおー!例の道標に到着!
そもそも地元の人間だけが通る道ならばわざわざ労力を使いこのような道標など建てる必要はないはず・・
ということは、やはり地元以外の人間、はじめてこの道を通る人が多数いたということになる。
書いてある事といえば「右志みず 左たなべ」だけである。距離は書いていない。そもそも距離の目安は必要ないのか?
距離的な情報はどこから得ていたのであろう?・・・・
舞鶴側の道はほぼ発見出来なかったが、今歩いてきた道から想像すると主要道路だったことは疑う余地はないようだ。
頂上から舞鶴側
頂上で朝食! と思ったのだが・・・鹿のウンコがあちこちに散乱!
と、いうことで、朝食は鬼住峠Aで食べた場所にすることにした!
頂上から遊里ルートを降りていきます。
こちらも清水ルートまでとはいかないが、確実に道がある。
雪で道がわかりにくくなっているが、この沢沿いを行くようである
GPSで確認すると、取り付きまであとい100m位なのだが・・・・
ダムだ!
おっ!この景色は!なんか見たことあるぞ!
鬼住峠Aで朝食を食べた所に到着! ここまでは車でも来られる!
「飯だー」
ドライ飯保温用に持ってきたクーラーバックが風防にならないかと中でアルコールストーブを使ってみた!
おー! 失敗! なんて事だ! 底の部分が熱で若干解けてしまった!
気をとりなおして。 愛用の220マグカップでお茶をのもう!
温かいものがいい
うま〜い
朝食を済ませ車へ戻る! ここからは鬼住峠Aで歩いた道である。
AM 11:26 あらかじめデポしておいた車に到着!
後ろのお地蔵さんの建物は清水ルートにあった建物と同じような作りに思える!何か関係があるのか? ないのか?・・・・・
と言うことで。 3回にわたる田辺街道(京街道)鬼住峠の探検はおわった。何をいっても舞鶴側の道が?だったのが非常に残念だった。舞鶴人だけに・・・・
そして清水ルートの立派さには非常におどろきました。やはり深い歴史の中に存在したこの峠は別格な存在だと僕は思う。違う角度からもっと調査したいと思います!
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