鬼住峠
(田辺街道)
岸谷 〜 鬼住峠頂上
2011/12/23
その昔、京都から舞鶴へと続く道は若狭街道で始まる。
京都→鷹ヶ峰→京見峠→緑坂峠→漆谷峠→神楽坂→鶴ヶ岡から田辺街道へと分岐→
洞峠→鬼住峠、そして田辺に到着する。
また、京都から丹後へ行く道もこの道を使っており、歴史的に名のあるお方も歩いた記録が残っている
と!いうことで・・とりあえず岸谷から鬼住峠頂上まで歩いてみた!
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上林から岸谷への鬼住峠は、清水ルートと遊里ルートがある。清水ルートは殆どが尾根を用いた巻き道なので、
谷道が多い遊里からの道よりも古い時代の街道だったかもしれないというお話もある。寛政十一年丹波國大繪圖では遊里からのルートが線で示されているようだ。
岸谷から鬼住峠頂上までは、約30年前の時点ですでに道が失われていたようだが、数百年の間この道が京都へと続く重要な街道だったことは間違いない
岸谷から峠頂上までは約1Kmだった。下山コースはGPSを頼りに地図に載っている道を忠実に歩いた為登りとは異なった勾配になった
AM6:32 岸谷の村を過ぎ鬼住峠の入口へと向かう
GPSを頼りに道をさがす
おそらくここが小吹峠の入口と思われる
GPSによるとこの辺りから左に鬼住峠がはじまっている
AM7:06 近くの広い場所に車を止め、鬼住峠頂上を目指し出発!
川向かいの斜面に斜めに登る道らしきものを発見!
確かに道がある、が、倒木がすごい!すごすぎる!
なんて事だ・・・・どうしていつもこうなんだ・・・・ と、一瞬思い 倒木回避!
くぐり、またぎ、のりこえ、はかいし、前えと進む
しばらく進むと植林地帯にでた! GPS上、本来の道から数十メートルそれているが、ずいぶん歩きやすくなった!
鹿に遭遇!
頂上手前、良い道になってきた
鬼住峠頂上に到着!この深く掘られた道はすごい!さすが歴史ある街道だ!
おおっ!道しるべ発見!
この雪の中、君は何百年ここで人知れず道案内をしているのだ。。
何がかいてあるか今一つ分かりにくい・・・・
彫ってある字を雪で生めてみた! くっきり読めたぞ!
「右 志みづ 左 たなべ」 ここは清水ルートと遊里ルートが繋がり岸谷へと続く場所だ
この道標は南向きに立っており、遊里側から登ってきた人に案内する感じになっている
この周辺で朝食にしようと周辺を散策する
AM8:09 適当な場所が見つかった! とりあえず記念写真!
ジャーン!プリムスナノストーブと服を着たガス缶!
JUNくん!このタイプは初登場のアルコールバーナー!研究に研究を重ねた作品の一つだ!
火力と燃費とゴトクと風と重さ・・・・・。最高のアルコールバーナーを作るまでJUNくんの研究はおわらない!
とりあえずお湯を沸かし、あたたかい物をつくる!
冬の山の空気は独特のクリア感を感じる!
今回初登場のレインウエア!20Lザックと体をまるごと包んでくれる優れもの!が、敷物になっている!
わたくしのメニューは、ワンタンスープとパン!
出来上がり! 98%サッポロ一番塩ラーメンの味でした!
JUNくんメニュー!アマノフーズビーフシチューと 500Kcalのパン!
まちがいなし!
朝食を済ませ岸谷へ戻る
登りは倒木の為かなり迂回したが、戻りは忠実な道をさがしながら下山することにした
歩きやすいように進めば道から反れてしまった!
日が差してきた!
豆に道を確かめる!
行ったり来たり、何度も道を修正する!
険しい所を突入しているが、実はここが地図で示されている道なのだ!
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
一応、忠実な道を下山してきたつもりなのだが、あまり道を感じられなかった。
植林の際に道がうしなわれたか、その際違うルートがつくられたか、わからないが峠頂上付近の道は確実に確認出来た
しかし、ちょっと倒木が多すぎた。倒木が無ければきっと道らしい地形が発見出来るのは間違いないと思う
次回は上林側の遊里ルートと清水ルートを調査することにした
AM9:54 車に到着!
帰り道、車から道しるべらしきお地蔵さんを発見した!
よく確認出来ないが、 「左 しら滝村 右 岸谷村」と書いてあるように見える
「文化十四年九月」 と書いてある
文化十四といえば1817年で、わたくしが尊敬する歴史人、
伊能 忠敬が亡くなる一年前である
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