11/02 AM7:00 浜名湖SA車中泊!お目覚め^^ 今から舞阪へ向かいます。
















AM9;00 舞阪駅南交差点 ここから前回の続き開始!今日は浜松城に立ち寄り見附宿まで歩きます!
















てくてく・・今日は天気が少しあやしい・・・・
















おっ松の木!
















旧東海道は時々こんな名残りの松の木が現れる!
ここから当時の様子を想像するのはさすがに難しい・・・
しかしだんだん松の木を見ると安心感が出てきた
















高札場跡 明治六年(1873)太政官布告を以って廃止された。この辺りは「札木」という地名が残っているそうだ

















「立場バス停」おそらく立場の名残だろう。と、言うことでローソンで一服^^
















国道と合流。篠原道標
















高塚バス停 安政の大津波の犠牲者を葬った塚が高かったことが由来だそうです。
















小野田五郎兵衛という長者が旅人に麦飯を振舞ったそうです。
















堀江領境界石跡
















浜松領境界石
「従是東浜松領」とある。浜松領の松平家と堀江領の大沢家の領地境
















「秋葉常夜燈籠」
天正二年(1574)家康公は「火の神」秋葉神社を浜松高町に建てた。一方、春野の深山に通ずる諸街道を
秋葉街道と名付け、旅人の安全を祈願し、街道の要所に常夜燈の設置を奨励した。このとき、建てられた常夜燈が
現在に残る秋葉常夜燈籠の始まりである。はじめのころ燈籠は、旅人の脚下を照らすための素朴なものだったが、
火を尊ぶ心から木燈籠、そして石燈籠と造り替えられ、現在のようなりっぱな燈籠になった。
現在、増楽町に残る常夜燈籠だけが、可美地区に残る唯一の秋葉燈籠である。
可美地区自治会連合会
と、書いてある。
















続く松の木が東海道っぽい
















若林一里塚跡 日本橋まであと六十六里・・・・
















八丁縄手
















ちょっと一服^^
















「鎧橋」
平安末期、浜松の鴨江寺と比叡山延暦寺がいさかいを起こし
叡山の僧兵が東海道を攻め下って来たとき、鴨江寺側は鎧を着こみこの橋周辺に
布陣した。この合戦で戦死した千人を橋の北に葬り、これを千塚と呼んだそうです。
















東海道新幹線のガードをくぐります。















東海道本線のガードをくぐります
















久しぶりに静かな道になったぞ
















子育て地蔵尊
















「番所跡」 ここが浜松宿西口になります。どんどん浜松の街中に入って行きます
















「梅屋本陣跡」
国学者 加茂真淵は梅屋家の婿養子だそうです。(誰それ?)
















「杉浦本陣跡」
浜松の本陣六ヶ所の内で一番古い本陣だったそうです。
















「高札場跡」
















浜松城公園! ここから東海道を外れちょっと寄り道・・・
















「浜松城大手門跡」 間口八間、奥行四間の瓦葺き造りだったそうです。
















まもなく浜松城!
















お!浜松城発見!
















浜松城公園到着!
















早速天守閣へ
















築城の頃の石垣が残ってます
















思ったよりちっちゃい・・・・・天守。
















再び東海道歩き開始!
















浜松の市街地を通る東海道
















「夢告地地蔵尊」
1858年に流行ったコレラの犠牲者を供養したもの。その後、廃仏毀釈によって
土中に埋められたが町民の夢枕に現れ掘り出されここに安置されたそうです。
















松並木
















「立場跡」
















浜松バイパスのガードしたを通過
















安間川を渡り東海道はこの三叉路を斜め右に行きます
















三叉路に東海道の看板がある
















「安間一里塚跡」 日本橋まであと六十四里!















「本坂通」姫街道安間起点
















姫街道安間起点の説明
















金原明善翁生家
天竜川の治水事業に尽くした方です。
















「松並木看板」
















看板に当時の絵図が書かれてます
















かやんば高札場跡
















ここには「軽便鉄道」という地元の足、身にSLが走っていたそうです。
















正面に天竜川の土手が見えてきた。
















「東橋跡」ここには土橋が架かっており
東海道の旅人は皆この橋を渡ったそうです
















この辺りは中野町という。
東海道の中間地点!京・江戸からも六十二里二十八町である。
だから「中の町」というそうだ。
















天竜川土手にある「六所神社」の下に旧東海道の道標柱
















この辺りの説明板。絵図が入っているのがいい!
















おー!天竜川! この辺りから舟渡しをしていたのだろうか
天竜川は諏訪湖を水源として信濃三河と流れてくる。
この川は長く曲がりくねり
度々洪水を起こしたところから「暴れ天竜」と呼ばれたそうです。
















広重絵 「見附宿」 天竜川の舟渡しの風景
















雨が降ってきた・・・・天気予報的中!
当然舟渡しは無いので、先に見える「新天竜川橋」を渡ります。
















橋のたもとに旧東海道案内板があった。
















さすが中野町!僕と同じ名前だけに親近感が出てきた!
















全長 912mの新天竜川橋を渡ります
















磐田市突入! ジュビロ磐田! 東海道五十三次 二十八番目の宿場 見付宿!

















天竜川を渡り、この土手階段から旧東海道に復帰!
















「長森立場」と「長森こうやく」





説明看板
















磐田市では、この辺りを「東海道と歴史の道」と定めて東海道歩きを紹介されております。
















名残りの松並木
















「宮之一色秋葉山常夜燈」









「宮之一色秋葉山常夜燈」の説明看板
















「宮之一色一里塚跡」 日本橋まであと六十三里!
















旧東海道!
















辺りも暗くなり雨がひどくなってきた・・・・・まもなく今日のゴール!
















PM 5:05 JR磐田駅前交差点 今回の東海道歩きはここまで!離脱します!次回はここからスタート^^
















磐田駅から舞阪駅まで電車でビュー!










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