舞鶴-宮津街道
2013/09/09
AM 7:13 「四所駅」 西国巡礼者や商人、えらい人、当時の舞鶴人にとってこの街道は重要な役割を果たしていたことは間違いない!
田辺と宮津を結ぶ街道で何を見て何を感じをどのような感覚で歩いていたのか、当時の面影を探索しながらいざ宮津へちょっと歩いてみた!
今回の探検仲間は久々の登場やっちゃんだ!
四所駅から国道を東へ少し行ったところ、ここから大船峠に入っていく
しばらくアスファルトの道が続く、これは期待できるぞ^^
アスファルトが無くなり三叉路が現れた!ここは GPSに従い右え
あちゃー こりゃだめだ・・・・・
地形を見てみると道があるように思われる。が、これ以上進めない・・・
この峠はかなり立派な峠だと僕は思っているのだが残念・・・・季節を変えてまた再調査だ^^
とりあえず、一旦国道に戻り、念仏峠(車道)から下東へ行くことにした
国道を西へしばらく歩くと北近畿タンゴ鉄道、大船トンネルが見える。大船峠に沿って下東へ繋がっている
さらに西へ少し行くと国道沿いに「一盃水」という場所があり
念仏峠で処刑される罪人が末期の水を飲んだと伝える湧水がある。
これがその湧水か・・・・・
斜め右に入り念仏峠へ
いい天気に写真が撮りたくなる
気持ちのいい朝だ^^
大船峠の下東側にある供養塔群
これ等の供養塔群は、もともと此処に有ったものでなく、これより北側の下東農協辺りに立っていて道路改修工事により現在地へ移転されたという。
この供養塔群の建立については、記録も無く判然としないが、地元に伝えられる伝承として、 「天正七年 (一五七九)細川幽斎の軍が、
一色氏の居城中山城を攻めた時、戦斗によって戦死した士卒の四散していたのを、江戸中期に、ここに集めて供養塔を建立した」という。
とりあえず、大船峠の下東側を調査してみる
地図で見るとこの線路を越えることになる。
線路を超える小さいトンネルを発見!
トンネルを超えると、池があった
GPSに従い道を進む
峠に取り付くあたりに池が現れた
池に立っていた石柱。「耕地整理附帯工事」と書いてある
大船峠調査開始!道らしき所を歩いてみるが、どうも一つ隣の尾根に進んでいる。
これは明らかに違う感じだ。
地図とGPSで道をたどると、この竹林を通り池に沿うようになっている。峠はおそらくここだろうと推測する。
当時は馬や人の往来が激しくあったと想像すると、この竹が無ければそれなりの地形のようにも見える。
違うルートで再挑戦してみるがやはり侵入不可能であった。
この峠は舞鶴と宮津をつなぐメイン道路だっただけにきっと当時の何か痕跡があると
僕は思っている。季節を変えて再調査だ^^
大船峠ログ
再び宮津へ向け歩き開始!
「安寿姫塚」がある。
ちょっと読んでみる・・・・
当時は和江の渡しだったそうだが現在は「八雲橋」を渡る
「中山城」跡
おおー!こんなところにスヌーピーが!
お芋畑^^
丸田東の三叉路。右へ行きます
「落石注意」! どう注意すればいいのか?
十代のころ良く通った「ドライブインダルマ」
ダルマといえばこの「うどん自動販売機」昔から変わらない!実は今は全国的にも希少な存在だそうです!
店内の様子
普通に灰皿が置いてあるのでちょっと一腹!
「和江神社」に到着!
和江神社散策^^
神社の常夜灯。和江の渡しはどの辺りだったのか?このあたりか?わからない?
国道ぶちに地図と案内板があった。ななな何と不親切な場所に設置してあるのだ!
地図に書いてある字を読みたいが文字が小さい。だから読めない
なぜなら看板に近づくと間違いなく車にはねられてしまうのだ。この距離が限界だ。
しかしこの地図は歩行者対象の設定だ!意図がわからない・・・・。こんなにりっぱな看板なのに残念だ・・・・。
収穫の季節
人間の力はすごい!山がこなごなになっちゃった!
宮津市突入!
おそらく(勘)左が旧道?
国道より数メートル高い位置に道がある
度々氾濫する由良川を思えばこの高い位置に道があるのは納得だ
みかん畑
石浦の村へ入っていきます
石浦の「日吉神社」
街道沿いにこの神社はあり、きっと当時の旅人も休憩したり距離の目安にしていたのであろう
ちょっと覗いてみる^^
ふたたび国道に出ます
「安寿と厨子王」パークに到着!
「安寿と厨子王」について書いてある
GPSを確認すると街道はこの公園の後ろを通っている
ダメダ!行き止まり・・・・
見上げると小高い丘になっておりそこも公園になっていた
こんな場所があるのは知らなかった^^ 最高の景色です
歩道を歩いて行くと自然と旧街道へとつながった
旧家が並ぶ集落を抜けて行きます
旧街道(多分)は山にそってあります
由良の村が一望
宿場町でもあった由良の村へ入っていきます
あちこちで収穫祭りだ^^
線路を渡る!正面に見えている山の鞍部が田辺-宮津街道の最大の難関「七曲り八峠」だ!
由良の村へ入ってきました
古い街並みです
おしゃれな建造物。たしかこのタイプの建物は軒天のデザインによって何かの意味があるのじゃなかったかいな?
思い出せない・・・・
由良の街並み
由良駅へ続く道
「ありがとう由良小学校」と書いてある。
この辺りからあることに気づいた!石だ!このタイプの石が村中あちこちにある。各家に一つは必ずあるように見えた
由良の街並み
「由良神社」
キター!「七曲り八峠」!
PM 1:22 予想よりかなり時間がたっている!
最大の難所「七曲り八峠」を超える前にちょっと遅めのお昼ご飯を食べることにした!
由良海岸にて昼食開始!^^ 雨が降ったせいか今日は海がにごっている・・・・
今回のテーマはお互いが二人分の料理をつくることになっている
やっちゃん「ガーリックトーストバター炒め」
めっちゃうまいぞ!^^
わたくしは、固形燃料クッカーで「マカロニパスタペペロンチーノ」だ!
汽車のみなさんに見守られながら調理中^^
茹で上がった!
完成!
トーストと一緒に
すでにお腹いっぱいの状態!せっかく持ってきたのでベーコンを焼く!
ウインナーを焼く!
PM 2:45 「七曲り八峠」進入!
山肌に石がボコボコ
整備はされていないがコンクリートの道が続きます
石塔
石塔が二基並んでいる
歩きやすい道が続きます
植林の石垣でしょうか?
神様が祀ってありました。よく分からないが古そう
石の橋
竹藪になっているが十分に歩けます
何て広い道なんだ
一つ目の鞍部に到着
鞍部に石。
辺りには石がごろごろ
広くて歩きやすい道が続きます。僕の中では大船峠もこれを想像していたのだが・・・
いや!きっとこれぐらいの道があるはずだ!^^
小さい谷を何度も出てきます
やっちゃん顔を洗ってみる
ジャーンプ!
電柱登場!
ウワオ! 突然開けた場所になった。栗田湾、エネ研、よく見えます
KTRの鉄橋も見えます
やがて、足元も見えない状況になる
石で出来た小屋?作業スペース?機械小屋? のような物があった
???? 突然アスファルト登場!
少しの間アスファルトが続く。これって車でこれるの?
石の壁
人工的に加工された石がごろごろ!
再び展望が開けました
しばらく歩くと人が通れる大きさのトンネル発見
トンネルを出ると国道に出た
再び峠を歩いていると線路に沿って道はある
木製の橋を渡ります
また同じようなトンネル登場
栗田に近づくにつれ道幅がかなり広くなってきた。すごい!
りっぱな古道です。このあと栗田の村に入る直前で道が右左に分かれる。
後で分かったがおそらく正解は右であろうと思う
甕?
コンクリートの道に出た
こんな感じの道で栗田の村へ続きます
「休耕寺」の横にでた
休耕寺から少し歩いてここに出ました
さっきの道を右へ曲ると、金毘羅神社横に繋がっていた。峠から栗田の村に入るのにはこの道が最短です。
おそらくこちらがメイン街道に思えます。せっかくなのでさっき左に曲がった場所まで歩いてみます。
ひっそりと「法花経塔」がある
あー!ここが渡れない・・・・
この先にさっきの別れ道があります。どっちにしてもこっち側は通過不能だったのか・・・
金毘羅神社横の古道
七曲り八峠のログ
PM 5:14 もうこんな時間だ!おそらく宮津に着くころには真っ暗だ^^
もう山歩きは無いので栗田の公民館?でレイヤリング調整!
栗田の街並み
旧街道の雰囲気が残っています
栗田の「住吉神社」祭礼に「栗田喧嘩まつり」というのがあるらしい
海から続く参道
上司の交差点。宮津街道は左と思います(勘)
国道を渡り線路を越え「宮津運動公園」方向へ行き栗田峠を越えます
「宮津運動公園」
辺りが暗くなってきた
「栗田峠」
栗田峠にある明治十九年完成のトンネル。今はひっそりしているが丹後地域の近代化にずいぶん貢献したそうです。
すっかり暗くなってしまった宮津湾。天橋立が見えます。
宮津の街方向
だんだん月が明るくなってきた^^
宮津の旧街道。
国道を渡り宮津駅へと向かいます
PM 7:05 「宮津駅」到着! 本日総歩行距離 28.0km 約12時間の街道探検はここまでだ!
今回はざっくりと、田辺-宮津街道を歩いてみた。この旧街道は西国霊場の巡礼道でもあり
丹後からの文化や特産品が運ばれた歴史的にも重要な街道であったことは間違いないはず。
次回は歩きやすい季節にもう一度セクション的に歩きたい!大船峠とその横の座尾峠(蔵王峠)もすごく気になる。
北近畿タンゴ鉄道にて四所駅まで瞬間移動^^
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