AM 9:14 「名鉄前後駅」到着! 旧東海道は前回の続き前後駅前からの出発です!
今日は、徳川家康生誕の地、岡崎宿を目指します!
そして。岡崎城見学!何とか間に合いたい^^

















前後駅前!しゅっぱーつ!
















旧東海道は前後駅前を東方向へ進みます
















「阿野一里塚」
















ほぼ往時のまま現存する一里塚で、道の左右に残る貴重な塚です
















一里塚に道標発見!文化五年(1808)建立
















伊勢湾岸自動車道の高架をくぐります
















境橋が見えてきたぞ!この橋が三河・尾張の国境になります。
















「烏丸光廣歌碑」があった。往時、境橋は尾張側が木橋、三河側が土橋だったそうだ
















なになに・・・
















橋にも、説明がしてある
















東海道は国道1号線を横切り、富士松方向へ向かいます
















今川歩道橋を渡ります
















街道風景
















「いもかわうどん」発祥の地!発見!
なになに・・・「江戸時代の東海道の紀行文に、いもかわうどんの記事がよくでてくる。この名物うどんは
「平うどん」でこれが東に伝わって「ひもかわうどん」として現代に残り、今でも東京ではうどんのことをひもかわとよぶ」と書いてある。
また、今川村は「いもかわ」とよばれ、立場であり、めん類は街道一といわれたそうだ。
















いもかわうどんからしばらく歩き一里塚跡発見!国道一号線の開通によって
その面影は無い・・・・
















「逢妻橋」を通過
















「総持寺」家康の側室で次男徳川秀康の生母お万の万の出生地碑がある。秀康は越前松平家の始祖となる。
















こんな所に道標が
















「知立城跡」
現在は児童公園になっており、江戸時代には将軍休泊用の御殿となったそうだ。
また、明治天皇御小休所跡碑もある。
















知立城は永見氏の居城で今川方に組した為、永禄三年桶狭間の戦い後、織田方に攻められ落城、
元禄十二年の大地震にて城は倒壊したそうだ
















おおーいよいよ「地鯉鮒宿」(知立宿)だー!
















知立宿街道風景
















池鯉鮒宿本陣はちょっとわかりにくい場所にあり、この和菓子屋さんの裏手にある。
















「池鯉鮒宿本陣跡」時代の流れに押しつぶされそうだ^^
















問屋場跡
















宿場を抜け街道を歩いていると、正面に何やら巨大な建物が見えてきた・・・・
















これが見えていたのだ。「サン・マリ大聖堂」
















東海道は交通量の多い国道1号線を横切る為、地下道を通ります
















こんな所にも道標が!東海道ハイカーにやさしい!^^
















すばらしい
















大聖堂の正面に出た!
















おおー!知立の東海道松並木だ!
















松並木の中に 「万葉歌碑と馬市之跡碑」 があった
















なるほどお
















なるほどお・・・
















現在の松並木の風景






江戸時代の松並木の風景
















標石発見!「京都三条四拾壱里」
















「江戸日本橋八拾四里七町」 とある・・・・つまり・・・江戸まであと三分の二あるってことか・・・^^
















道標 元禄十二年(1699)建立
















「来迎寺一里塚」
















ここの一里塚も左右が残っている。江戸日本橋より八十四里目だ!
















いやー、それにしても暑い・・・。街道沿いの小さな公園にて休憩^^
















ここの公園に「玉乃井碑と綿旗千載駐餘光碑」があった
















松が頻繁に登場するので、知立の東海道はすっかり松のイメージになってきている^^
















ちゃんと管理されている!すごい!
















「青麻神社」明治の初めご当地出身の関取が五代目清美潟又市を襲名する。
鳥居さんの左に関取の石仏がある。
















地元で東海道の松を守っていることが伝わってきます





江戸時代の知立の松の木。談合松だ!当時は一本の松の木の下で談合をしていたそうだ。「談合松」と呼ばれ絵でも人々が集まっている。
















おっ!コンビニ登場! PM 1:12 お腹がすいたのでここでお昼にします。
















ジャーン!おにぎりと赤飯おこわとチキン!
















おにぎりを食べながらこれからの道を勉強します^^
















松並木。完全に道路上空に侵入してます^^これトラックこわいな〜・・
















次は「永安寺」登場! なななな・・・何だこの松の木は!
















ほー。樹齢三百年の松!「雲竜松」!

















すごいです・・・・。これ一本の松の木です。
















雲竜松の説明
















「尾崎の一里塚」神社と一緒になっています。
















この神社の裏一帯は元第一岡崎海軍航空隊基地、予科練練習生揺監の地。
















当時の配置図
















「予科練之碑」
















いよいよ岡崎市に入ります
















岡崎市、おじゃまします!
















旧東海道は斜め左に入っていきます
















突き当たりに川の土手のような物が見えてきた!矢作川だ!
















「矢作橋」に到着!
















広重絵の「矢作橋」橋の左に岡崎城が見える。江戸時代には東海道で最長の木橋だったそうだ。
















現在の矢作橋は80m程上流に架け替えられているので岡崎城は橋の右に見える
















当時の橋はまったくない
















道標「右西京、左江戸」とある
















岡崎市内の東海道筋は戦災でほとんど焼失したそうだが、この一帯だけ戦火をまぬがれたそうだ。
















このあたりは八帖町(昔は八丁村)といい、岡崎城から八丁(約八七〇b)離れていたことからこの名がついた。
八丁味噌の老舗が二軒あり写真はその内一軒、「まるや八丁味噌」さんだ。
















味噌蔵が並ぶ八丁蔵通り
















ほーここはロケ地何だ・・・。何だこの手形は?
















おおおー!宮崎あおいだ!

















八丁味噌について書いてある
















まるや八丁味噌さんののれん 創業延元二年
八丁味噌の名称はこの「まるや」さんと「カクキュー」さんの二軒のみに許されてるそうだ
















まるや八丁味噌さんの敷地内には日吉丸(秀吉の幼名)が仕込み用の重石を投げ込んだという
「石投げの井戸」というのがあるそうだ
















もう一軒の八丁味噌の老舗「カクキュー」さんの看板だ
















「松葉総門跡」岡崎城下の西口だ!
東海道の中でも三番目に規模の大きい宿場町として栄えた岡崎宿! 岡崎城下は「岡崎の二十七曲がり」と呼ばれ、屈折の多い
これは城までの距離を延ばして防衛上有利にする為のもので、田中吉政は10年かかって二十七曲りの城下町を造ったといわれている。
二十七曲り突入!^^
















曲がり角に道標がある
















岡崎城下の東海道風景
















PM 3:25 「板屋町入り口」 今日の東海道ハイクはここまで!ここから東海道を離脱し岡崎城の見学へ行きます^^
















岡崎城横の伊賀川
















岡崎城公園の北側
















「家康館」入ってみようか?
















広場の真中にカラクリ時計発見!動いている^^只今15:30!
















おっ!これテレビで見たことある!
















「岡崎城二の丸御殿の井戸」 平成十九年の発掘調査で発見されたそうです。
















終わるとさみしい・・・・
















「徳川家康公銅像」
天文十一年十二月二十六日(1542)岡崎公園内二の丸で生まれた。幼少の頃人質として
苦難の道を歩き、自立した後は全国統一をめざし、転戦を続け、慶長五年(1600)天下分目の関ヶ原の合戦
に大勝して、天下をおさめるにいった。以後持前の才能を生かし、全国統一の念願をかなえるとともに、徳川
幕政三百年の基版をも作り、元和二年四月十七日(1616)七十五才でこの世を去った。
















深く掘られた地形の場所があった・・・これは何の跡・・・・?
















公園内の案内看板
















岡崎城天守
















一人記念写真^^
















岡崎城公園の南?側に出てきた
















今日はイベントをしているみたいだ
















こういう地元色のあるイベントは僕は大好きだ^^
















感じたこと! このテーブルクロスがあるのがすごい!
















おっ!ここにも手形が!
















少し歩くと川に出た!ここでは消防の何かイベントをしていたようだ
















消防車がぞくぞく撤収していきます
















おー何だこのモビルスーツは?
















公道を? ウルトラマンの世界だ^^ カッチョイイ!
















岡崎城観光を済ませ車が置いてあるスタート地点の前後駅に戻る為「東岡崎駅」へ向かう
















名鉄東岡崎駅前に到着!
















家康公の手形だ!しかしやたらと手形が登場するなあ^^
















東岡崎駅で電車待ち!
















豊田市の宿に到着! 明日の工程をチェック!・・・就寝・・・・・








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11/3 AM 10:00 豊田市内 ちょっと寝坊してしまった・・・・^^
今から昨日離脱した地点まで車で行きます。
















岡崎城到着!せっかくなのでちょっと寄って行こう^^ 今日は大手門から!
















やっぱり岡崎の東海道は二十七曲りということだ! 菊まつり?
















菊まつりというのを初めて見た! よくわからないがすごい形状している事はわかる^^
















昨日離脱した地点「板屋町入り口」に到着! 今日は「藤川宿」を目指します!それと銘菓「あわ雪」をGETします!
















マンホールの蓋!岡崎に五万石の船
















東海道二十七曲りはこの田町角を左に曲がって行きます
















細い道
















角々にこのように道案内がしてあります
















次の角の距離まで書いてあります
















おもしろい石柱発見!たしかにペットの尿はダメダ。しかしこれでは石柱がその役目を果たしていない!しかも雑にガムテープで石柱に張り付けてある。
















伊賀川柿田橋の角の石柱
















二十七曲がり進行中!
















道標に従って行きます
















弥次さん喜多さん?
















道標に従って行きます
















細い道を道標に従って行きます
















岡崎城対面所前角
















何か地図があるぞ!
















二十七曲りが地図で書いてある
















龍田町公園北西角
















「龍田公園」ここに東惣門にあった常夜燈があるらしいが・・・・
















今日は岡崎市のあちこちで同時にジャズのイベントが開催されているみたいだ
















あった!公園の片隅に「龍田惣門角常夜燈」
















なるほど・・・・
















岡崎二十七曲りの基礎を造った「田中吉政」だ
















龍田惣門跡
















この角に明治建立の道標があるはず・・・
















おーっ!引っこ抜かれている!
















「西 京いせ道」 
















道標の地下はこうなっているのか
















次の角を目指します
















「岡崎宿本陣跡」発見!今はコンビニになっている
















本陣跡にてちょっと一服!
















「備前屋」さん登場!歴史的銘菓「あわ雪」をGETするぞ!
















「あわ雪」GET!
















そういえば・・・石柱の道標と木目調のと二種類登場しているな
















「秋葉山常夜燈」建物の中にある
















なるほどそういうことか・・・
















当時の写真がある
















かなりりっぱだ
















道標に従い進行!
















曲がり角も終盤だ
















二十七曲りの碑が見えてきた。ここが最後の曲がり角になるのか
















「岡崎二十七曲りの碑」ここで二十七曲りは終わりだ!
岡崎城下を抜け次は藤川宿を目指します!
















常夜燈登場!
















文政十三年(1830)の建立
















国道」1号線が見えてきた
















東海道は国道1号線に沿います
















ちょっと複雑・・・・東海道は東名高速道路の岡崎IC.のガードをくぐります
















「大平一里塚跡」
日本橋より八十里目。国指定史跡で南の塚が残る。榎は昭和二十八年の台風で倒壊し再植されたものだ
















西大平藩陣屋跡?ちょっと寄ってみよう
















えっ? あの大岡裁き?
















西大平藩陣屋跡の門正面から
















中から門を見る。
















中は何も無い・・・・
















ちょっと読んでみる・・・・







ちょっと読んでみる・・・







ちょっと読んでみる・・・
















再び東海道へ戻り、道標登場! 「東海道」「つくて道」とある
















秋葉山常夜燈 文化四年(1807)建立
















東海道は国道1号線を横切り大平橋跡へと向かいます
















この周辺の東海道が説明してある
















ここの突き当たりが乙川に架かる大平橋跡だ
















大平橋があったであろう場所。
















現在は国道の大平橋を渡ります。
















「乙川」 男川、大平川ともいうらしいです
















対岸の橋が架かっていたであろう場所。何故か川に馬が・・・・・
















田園の中の東海道を進みます
















何だこの「ブルボン」の自動販売機は?
















思わずパン買っちゃった^^。この自販機のパンの写真がめっちゃうまそうに見えた!
















松並木が見えてきた
















東海道の案内板
















見えない・・・・。看板はすごくりっぱなのですが・・・残念
















藤川宿の看板が見えてきた^^
















藤川宿到着!藤川宿は鎌倉時代から宿駅で、慶長六年(1601)正式に宿場となったが、
一村での宿経営が困難な為、慶安元年(1648)隣の山中村から六十八戸が加宿された。
これにより宿並は九町二十間(約1q)におよぶながい宿場となったそうです。
















「藤川松並木」
慶長九年(1604)、二代将軍秀忠の命により、黒松が植えられた。市指定の天然記念物だそうです。
















悪いかお〜。
















「吉良道道標」文化十一年建立
















塩の道。三河湾吉良への追分。右が歩いてきた東海道です。
















芭蕉句碑
















なるほど
















なるほど
















藤川宿棒鼻跡到着!
















宿場の出入り口には見付と呼ばれる施設があった。これは宿場の入り口を示すための物であったと同時に、
非常時には外敵の進入を防ぐ役目もあったようで、土塁の上には木製の柵が取り付けられていた。
東海道五十三次之内 藤川 棒鼻ノ図には左右の見付が大きく描かれている。
その脇で宿場役人が朝廷への御馬献上の行列を迎えている場面で、見付脇には傍示杭と関札も立っている。
















棒鼻跡。参勤の大名等の通過に際しては、宿場役人はここで送迎したそうだ。
















PM 3:56 西棒鼻跡にて東海道から離脱します!次回はここからのスタートです!
















藤川駅前
















藤川駅は東海道のすぐそばにあります。ここから今日の出発地点の東岡崎駅まで戻り車で舞鶴まで帰ります!
















「あわ雪」見た感じまるで豆腐^^





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