大船峠
(宮津街道)


上福井 〜 下東
2014/03/16


その昔、舞鶴と宮津を結ぶ道を宮津街道と言っていたそうだ。

天正7年(1579)細川幽斎に攻められた、丹後の領主一色義道軍は、大敗して居城八田城(建部山)を出て中山城に逃げたが、
城主沼田幸兵衛は細川軍にねがえり、城に火をつけて細川軍を誘った。それで一色氏の軍は大敗して領主一色義道は由良川の浜で自刃した。
その時大船峠に陣を張り細川軍と戦っていた息子の一色五郎義俊は父の自刃を聞いて敗軍を納めて与謝郡の弓木城に引き退いたのである。
大船峠は細川幽斎や細川忠興、明智光秀が駆けたところなのです。江戸時代の大船峠は旅人や西国巡礼者などで大いに賑わった峠道でもあり
この道は幕府巡検使の道で「田辺ー上福井村ー大船峠(小休)ー中山(小休)ー中山村渡場ー和江揚場ー石浦ー宮津」と
徳川幕府の将軍の代わるたびに民情政情監察の順路であった。また西国霊場28番成相寺から29番松尾寺への巡礼の道でもあった。
江戸時代中期頃までは道が悪く峠越えは大変難儀をしたと記されている。宝永3年(1706年)冬より、両崖を切り開き岩を平らにし、
ごろ石を除いた。改修は宝永4年春に終わったそうだ。  (NET調べ)

と、いうことで、今現在大船峠はどうなっているのか? 行ってみた。

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四所駅から国道175号線を少し東に行ったところから斜めに大船峠はあります
















最初は軽トラが通れるくらいの道が続きます
















ここからはすぐに道が発見出来ない状態になってしまった^^
とりあえずGPSに従い藪の道らしき道を進むことにした! (13:13)
















竹が倒れていて分かりにくいが、幅2.5mぐらいの道が確かにある!
















すごい!さすが歴史ある街道だ!この幅なら人馬や牛車は楽勝に通れる!
















あれれ・・・? 道を見失ってしまった・・・・
















周辺を散策! 道の痕跡を探す!・・・
















この辺りは田んぼだったのか? 一帯がぬかるみ地帯になっている
ここは確実に道ではないなあ・・・
















なんと! 倒木の影になり発見が遅れたがこんなりっぱな道を発見した!
















終わりまでこの道幅が続くのか? さすが歴史街道かなり立派な道です!
















ここで道が途切れた・・・・ しかしそれは水の流れで崩れたのは容易に想像できた。
















あれれ・・・。またもや道が無い・・・・
















GPSで確認する。半径30m以内に道があると思われるのだが、倒木などで地形が確認出来ない。
しかたないので、ここからは斜面を直登することにした!
















ウォー! 道だ! 倒木の先にこんな道が存在した!
















大船峠到着!
一色五郎義俊が陣を張って細川軍と戦っていたのはこの辺りだろうか?
















大船峠到着の記念写真^^
何と! 道を探しながらでもここまで 40分で来れた!  (13:53)
















この峠は歴史的にも存在価値の大きい峠なのだが、倒木や藪で今は人が簡単に来れる状態では無いので
看板や案内盤などはまったく無いが唯一このようなテープが張られていた。

当時の面影を感じられるこの宮津街道大船峠は
今に残る西国巡礼の道として整備保存管理し歴史ハイカーや現在巡礼の旅をしている人達に是非歩いてほしいと強く思う
















ここからは下東へ向け下ります
















竹に隠れていますが、上福井側と同じく幅2.5mぐらいの道があります。
















倒木回避!^^
















すばらしい道だ!
















この辺りは道がはっきりしないがもうすぐ前に池が見える
















下東の池に出た! ここからは車が通れるほどの道が念仏峠の下まで続いている。
大船峠第一回探検終了! この峠はあと何度か探検して歴史街道の面影を発見したいと思います!^^
















正面奥が多分大船峠の鞍部(念仏峠から)


















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