AM 9:16 旧東海道セクションハイク開始!
今回はやっちゃんと二人旅だ!前回の続き「関宿」からのスタートです。
「亀山宿→庄野宿→石薬師宿→四日市宿」までの予定です!
暑い。。。。昨日梅雨があけたそうです^^
関宿の中心からだんだん外れて行きます
おおっ! 「金鳥」はしっているが「ライオン」は知らないぞ^^
東の追分に常夜灯と鳥居があり伊勢神宮へ向かう伊勢別街道の分岐点がある
京方面から伊勢参りをする人はここを右に曲がります。
「小萬のもたれ松」
江戸中期、九州久留米藩士牧等左衛門(まきとうざえもん)の妻は夫の仇を討とうと志し、旅を続けて関宿山田屋に止宿、
一女小萬を生んだ後病没した。小萬は母の遺言により、成長して三年程亀山城下で武術を修行し、
天明3年(1783)見事仇敵軍太夫を討つことができた。この場所には、当時亀山通いの小萬が若者のたわむれを避けるために、
姿をかくしてもたれたと伝えられる松があったところから「小萬のもたれ松」とよばれるようになったそうである。
関宿を抜け「亀山宿」へと向かいます! しかし暑い・・・・。
ガイドブックを吟味するやっちゃん
しばらく歩くと「東名阪自動車道」登場!
その昔ここを歩いていた旅人はまさか空中に道が出来るとは微塵も想像できなかったであろう・・・
高架下に「広重」の絵が・・・
ふたたび街道っぽい雰囲気になってきました
「常夜灯」を左に「観音坂」を行きます。
あまりにも暑いのでちょっと観音堂で休憩^^
なんとここは「昼寝観音」と呼ばれているそうだ・・・・
昼寝をしていて札所に入れてもらえなかった観音様が祀られているそうです。
そう言えば今日は朝も早かったのでここら辺りで・・・・
昼寝観音から少し歩くと「布気皇館太神社」(ふけこうたつだいじんじゃ)が現れる
布気神社は能古茶屋の後にある森の中に鎮座し雄略天皇のころ、
豊受大神宮が伊勢国に遷座されたとき、鈴鹿郡で一宿した行宮の旧跡とされる。
いまこの社は布気皇舘太神社と称され江戸時代には高野大神宮、高宮、神戸神社などいくつも名があったそうだ。
それが享保八年(1723)から、いまの皇舘大神宮と呼ばれるようになったそうである。
東海道の街道が旅人で溢れていた時代、この社の獅子舞は有名で、丑辰未戌の閏年には、正月十四日から三月三日までのおよそ五十日間も、
亀山藩の領分と野尻、落針、大綱寺、山下、小野など在郷を回り、また街道を歩く旅人の眼を楽しませていたそうである。
しばらく歩くと「野村一里塚跡」登場!ここは日本橋より百五里目の塚になります。
樹齢四百年のムクの木がありムクの一里塚は全国でもここだけだそうです。
街道てくてく
街道歩く風景!日傘効果は絶大^^
「北斎画」関まで壱里半とある。この辺りだろうか?
「京口門跡」いよいよ亀山宿に入ってきました。
亀山宿のも各家に昔の屋号が掲示してあります。
宿場町を大切にしておられる感じが伝わってきます。
街道風景
街道が直角に曲がったりしてます。これは石部宿でもみられた「鉤の手道」というやつなのかな?
宿内の風景
案内図発見!ハイカーに親切だ^^
この東海道歩きでは出来るだけ当時から変わらないお菓子を食べる事にしている^^
亀山の銘菓「亀乃尾」を求めて駅前の「瑞宝軒」を目指してみる^^
「瑞宝軒」の創業は延亨年間(1744〜1748)だそうだ!
「瑞宝軒」発見!・・?外からの店内の様子はどう見てもパン屋さんだ・・・・
とにかく入ってみよう!
「亀の尾」GET!
さっそく亀山駅にて食べてみる^^
どことなく関宿の「関の戸」に似ている感じだ^^
江戸時代のハイカーもおそらく食べたであろう同じお菓子を・・・・
再び街道に戻り本陣を目指します!
「高札場跡」
「本陣跡」 今は商店街の柱に小さな看板が・・・
これは江戸方向から見たかんじで設置してある。京都側から歩けば簡単に見逃してしまうので
注意が必要だ^^
すぐ先に「脇本陣跡」!その先を歩いておられる東海道ハイカーの方は
本陣跡看板を見逃したらしく後戻り・・・・・
脇本陣前で
「アートグループ majo+ 7days ギャラリー」という企画をされておられてそこの方に
「路地の奥から亀山市が一望できるよ」と言って頂き路地を進んで行く^^
ギャラリーは商店街の空き店舗を利用して
毎月1日〜7日の7日間、開いているそうです。
「アートガーデン崖の上」
古い建物に展示してあります。ちょっと僕には感受性がたりないのか・・・・。
おおっ!何と!。この場所は市街から高台になっている感じで街が一望できる。心地よい風が吹き心が落ち着く場所だ^^
見とれてました^^
再び街道を歩き、「江戸口門跡」に来ました。ここで亀山宿から離れて行きます
ちょっと読んでみる・・・・
次は「庄野宿」を目指します!
街道と交差する「国道306号線」!よく見るとマクドの看板が^^
只今PM12:40 おなかも空いた!昼飯だ!^^
高級バーガー「BLT」いっちゃいました^^
やっちゃんは「ダブルチーズバーガー」!
なにを言っても店内が涼しいのが最高だ!
「和田一里塚跡」
一里塚裏にある公園!あまりにも暑いのでちょっと水浴び^^
庄野宿へ向かう街道風景
街道は左へと進みます!
「和田道標」
ちょっと読んでみる・・・・
ここは重要な分岐点のようだ
街道は住宅地を進みます
二本の桜
「安楽川」
平水時は土橋、出水時は徒歩渡しであったそうです。
現在は「和泉橋」を渡ります。
橋を渡ってすぐ自動販売機登場!
いやー暑い! 500ml一気飲み^^
バンザーイ!
「中冨田一里塚」と庄野に三社ある「川俣神社」
ここはここかな?
↓
大きな大木のりっぱな庄野の一里塚。当時の様子。
”広重は狂歌入り東海道の庄野に一里塚を描いている。のんびりとした田園風景の中に、
早駕籠と継飛脚がちょうどすれ違ったところで、静と動の対比が見事だ。”
川俣神社にて休憩^^。
遠くの方から大きなエンジン音らしき音が聞こえる。もしかして「鈴鹿サーキット」近い?
再び「庄野宿」へ向け暑いアスファルトをてくてく^^
「従是東神戸領」の碑と「女人堤防」の碑
この辺りは安楽川と鈴鹿川の落合う場所の為、水害に悩まされた。
藩に願い出ても許可がされなかった為、女人のみで六年を費やし築いたそうだ。
今も昔も女人強しという秘話を伝えているそうです。
旧東海道には分かりにくい場所にはこのような案内板が必ずといっていい程登場する。
すばらしいハイカー目線だ。これだけで疲れた体に元気がもらえます^^
庄野宿とーちゃーく!
庄野宿の開設は街道の中では最も遅い1624年であり勢いや活力があまりない宿場だったそうだ。
京からの伊勢参りの旅人は関宿で参道に入り江戸からは四日市の日永の追分から参道に入る為、
通行量が少なく人足、伝馬は半減されていたそうだ。
「川俣神社」ここには樹齢三百年のスダジイがあるそうだ。ちょっと見てよう
推定樹齢三百年の県天然記念物のスダジイ
庄野宿の長さは短く六〇〇メートル程でこの辺りは、畳屋、油屋、大工、風呂屋があったそうです。
「高札場跡」
「庄野宿本陣跡」
「問屋場跡」
多分ここはここ?
↓
「庄野宿問屋場」当時の風景
前の宿から運んできた荷物がここで積み替えられている。人足と馬が交代して次の宿場まで行くのだ。ここまで運んできた者たちはタバコを吸ったり、
荷を降ろしてリラックスしている。これから運ぶ者は馬上に荷を付けたり、草鞋を締め直したり準備に余念がない。
武士が一人問屋場の前に立っており、共の者は書類(伝馬朱印状だろうか)を出して役人が確認作業をしている。
この時代、幕府公用の荷物などは運送料が無料だったのだ。手前では帳付が上役人と何やら話をしている。
帳付がチェックした荷物の確認をしているのであろうか。一般人が荷物を運ぶ場合にはもちろん有料なのだが、
料金でもめた時に相手が上がって来れないようにするために問屋場の床は高くなっているのだそうだ。[参考:東海道五十三次沼津宿]
「旧小林家住宅」1854年の建築
油問屋だった旧小林家住宅は現在宿資料館になっている。
庄野宿はここまで!次は石薬師宿を目指します^^それにしても暑い・・・・
ここからコンクリート工場を避けるように国道1号線を歩きます。
国道1号線のガード下。いやーそれにしても今日は暑い・・・。日陰で休憩^^
しっかり案内板があります。
青い空に緑の大地^^ 夏を実感!
石薬師の一里塚が見えてきた!
石薬師の一里塚到着!何やらいろいろ書いてある・・・
「信綱かるた道」?
石薬師には明治の歌人、「佐佐木信綱」の生家があるらしい・・・
ここから1.8kmの間に信綱かるたが掲示してあるとのことだ!
いよいよ石薬師宿に入っていきます
おっ!早速出てきました!
ここにも!
ここにも!
ここはここ?なのかな?
↓
「石薬師宿」
お寺の門のような絵があります。
石薬師宿は石薬師寺の門前に開けた町だったそうです。
石薬師の町並み
石薬師の旅人の様子。「江戸時代の休憩風景」。
「現代の休憩風景」。
「佐佐木信綱資料館」
石薬師は「卯の花」の里のようです!
「石薬師文庫」
「小澤本陣跡」建物は明治に建て替えたそうです。当時の宿帳には大岡越前守の名もあるそうです。
石薬師宿を後にします!
次は「四日市宿」だ!
少し国道1号線を歩きます
大谷付近の旧東海道風景
再び国道に出た所の交差点
四日市市と鈴鹿市の境!
いよいよ四日市市に突入!
「采女一里塚跡」
現代はトラックが走っています
江戸時代は飛脚が走っています。
「橋の上を継飛脚が走っている。黒の一文字ぼかしがあるので夜なのだろうか。
棒の先に文箱をくくりつけて走る飛脚の前に御用提灯を掲げて走る伴走者がいる。
昼夜兼行で走っているので特急便なのだろう。
継飛脚はこのように二人一組で走ったらしい」[参考:東海道五十三次沼津宿]
「血塚社」
ヤマトタケルが山の神と戦い敗れて傷つき、その時流れ出た血を洗い流したと伝わる。
芭蕉句碑「歩行ならば杖つき坂を落馬かな」
1687年に松尾芭蕉がこの場所を通りかかり落馬したそうだ。
その時詠んだ句だそうです。
「杖撞坂」
この坂は距離は短い坂なのだが、ヤマトタケルや松尾芭蕉など
ちょっと意味深き坂道だ!
杖つき坂を下ると旧東海道は住宅地へと入ってきました。
新しい住宅の中に旧家がある
住宅地の中にも東海道看板が!四日市はこのタイプの看板なのか?すばらしい^^
なんとすばらしい案内板だ!
しかし、よく見ると傷だらけ・・・・?電柱の高い位置なのに何故?
只今18:33!歩行距離26.7km! いやー今日は暑かった^^
内部川の東屋にて・・・・
今日の最終到着地点の南四日市の駅まであと少しだ^^
涼しい風が心地いい^^
夏らしい雲だ
おおー。なんと立派な^^
「日永の追分」ここがここ?(下の絵)↓
江戸から来れば、右手が東海道、左手が伊勢参宮道になる。
伊勢には行かない東海道の旅人も一度鳥居に立ち寄って遙拝したそうだ。
この辺りは石薬師宿と四日市宿の間の宿場になっており旅籠や茶店が立ち並んでいたそうだ。
その一つで1550年創業の老舗和菓子屋「笹井屋」が現在も営業されており名物の「なが餅」がある。
だんだん日が暮れてきた!
今回の東海道歩きはここで街道から外れ南四日市駅へと向かいます。
次回の東海道歩きはここからスタートします!
19:42 南四日市駅に到着! 本日歩行距離 30.5km!
いやー今日は本当に暑かった^^ 次回四日市宿の「なが餅」が楽しみだ^^
また、これから先の七里渡しや尾張の国など楽しみが盛りだくさん!
旧東海道は巨大な歴史テーマパークだと絶対おもう!
旧東海道おもしろすぎ^^
もどる