第1日目!京都三条大橋〜草津宿まで!
自宅が東舞鶴なのでAM5:42の始発で京都に向かいます!
AM 7:48 三条大橋到着!出発前の記念写真!(今回は一人旅です^^)
ロングハイカーの大先輩だ!
なるほど!この石柱が天正年間のものか・・・
これからの長い道のりを記録してくれるガーミン!三条大橋にてリセットOK!
早速、東に向かって歩きはじめた!まず目指すは「山科」だ!
蹴上の交差点を右折
しばらく歩くと早速街道っぽい空気になってきた
日ノ岡鴨土町を通り一度大通りに出ます
JR東海道本線のガードをくぐりその先を左折!「山科」の町にはいってきました!
りっぱな道標だ。「五条別れ道標」とある。約300年前の物だ。東海道歴史深い^^
「右ハ三条通」
「左ハ五条橋 ひがしにし六条大佛道 今ぐまきよ水道」
「願主沢村道範建立」
「宝永四年十一月吉日」
山科駅前にあった新しい石柱
山科駅からしばらくあるいて左側に「徳林庵」という街道にとって重要な場所がある
「六角堂」です
「徳林庵」前の道標
しばらくあるき街道は国道1号線をまたぎます。この歩道橋を利用!
再び街道らしくなってきた^^
左側になにやら石柱と案内板が現れた。
ちょっと読んでみる・・・
わかりやすい当時の風景だ
これがその「車石」か・・・すごい!
道端におちていた・・・・。たぶんこれも「車石」だと思います。
追分町
道標発見!「みぎハ京みち ひだりハふしみみち」とある
東海道と伏見街道の三叉路だ
大津に入ってきた・・・・?。これまで逢坂の関が県境だと思っておりました・・・^^
「大津算盤」知らなかったです。 何気に車輪の下にある石は「車石」だ。
電柱に旧東海道の案内板がある。すばらしい^^
「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」
といえば、百人一首だ。平安時代の歌人「蝉丸」がこの地で往来の人を見て詠んだそうだ。
坂の頂上あたりに、トイレありの休憩場がありました。そこにあった案内板です。
この場所の当時の様子を想像します。
大津の歴史紹介など書いてあります。
逢坂の関通過! 「イエーイ!一人記念写真^^」
「逢坂の関常夜燈」
道端にひっそりと建つ「蝉丸神社」の石柱
逢坂の関を越え大津に入ってきました
まっすぐ下ると「札の辻」旧東海道と旧北国街道の分岐点にたどり着くはずなのだがちょっとわかりにくい・・・・
おっ!「江戸」の文字が登場!
何気にある道標も地元にあるのと比べるとかなりりっぱだ
路面電車が走る近代的な道をしばらく歩きます
「辻の札」到着!
旧東海道はこの「辻の札」から直角に右に曲がります。
三条大橋から12.1km!「大津宿」の中心へと入ってきました。
街道に入ると一気に雰囲気が変わりました
直線が続きます
ここが「大津事件」の現場だ!
大津事件とは↓(wikipediaから)
大津事件(おおつじけん)は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、
滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した、暗殺未遂事件である。
当時の列強の1つであるロシア帝国の艦隊が神戸港にいる中で事件が発生し、まだ発展途上であった日本が武力報復されかねない
緊迫した状況下で、行政の干渉を受けながらも司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件とされる。
裁判で津田は死刑を免れ無期徒刑となり、日本政府内では外務大臣・青木周蔵と内務大臣・西郷従道が責任を負って辞職し、
6月には司法大臣・山田顕義が病気を理由に辞任した
歩いてきた道を振り返る
電柱の道標は本当にありがたい^^
またまた史跡の登場だ!^^「義仲寺」。
俳人松尾芭蕉が葬られているそうです。
正午もすぎお腹が空いていた所に突然ラーメン屋が現れた!
しかも「イケ麺バトル2012」グランプリをい獲得したらしい!
まよわずそのグランプリ商品「鶏しおそば」を食べてみた・・・・・。。。
お腹も満たされ再び街道をあるいていると。ある神社の看板に目がいった。
「車のおはらい」・・ムム!そういえば三日後に新車が納入されるのだ^^
住宅地に入ってきました
街道歩き最高^^
京阪電車の踏切
しばらく歩き「瀬田唐橋」に到着!
橋のたもとにベンチ発見!コーヒーを飲み一服!^^
橋の上から琵琶湖方面
定期的に旧東海道道案内板があらわれます。心強い!
幹線道路から右に曲り街道は住宅地に入っていきます
瀬田の駅前通りに出てきました。
瀬田の駅前通りの一里塚です。この辺りの住所は「一里山一丁目」だそうです。
「立場跡」
瀬田唐橋から4.6km!草津に入りました^^
街道沿いにある「弁天様」
しばらく歩くとまた史跡登場!「野路の玉川」!
ここ野路の玉川は、平安時代末(12世紀)から有名になった歌所で、萩の玉川とも言われ、
日本六玉川のひとつとして知られています。野路はまた鎌倉時代、有名な宿駅でもありました。
野路の玉川は、平安、鎌倉時代の東山道沿いに位置し、往来の旅人たちも、
秋には「詩に詠まれている、野路の篠原(現在の平野)」あたりを越えると、
一面になみいる萩の花の景観を堪能したことと推察されます。(野路町内会参考)
草津宿までの街道が続きます
東海道歴史看板登場!
「野路一里塚」ここから国道1号線を渡り矢倉へと入っていきます
矢倉付近の街道風景
おおー!「急がば廻れ」の場所だ!
ここを右に行くか左に行くか。思案した場所か。
当時の風景
「右やばせ道」
この橋を渡ればいよいよ草津宿だ^^
17:07 三条大橋から 29.9km
「黒門跡」草津宿、京方入口に到着!
草津宿の風景
時間が少し遅いせいか人通りが少ないです
草津宿の町並み
草津宿の町並み
草津宿の町並み
草津宿の町並み
草津宿の町並み
「草津宿本陣」
2軒あった本陣のうちのひとつで、現存する本陣としては最大級である。
「大福帳」には、浅野内匠頭、吉良上野介、土方歳三など歴史上重要な人物の名前も多く残る。
もう一軒の田中九蔵本陣は現存しない。篤姫(天璋院)が、嘉永6年10月6日(1853年11月6日)に御泊している。
田中七左衞門本陣に残る大福帳の一節に、篤姫(天璋院)の記録が残る。(wikipedia)
「東海道と中仙道の分岐点」追分道標
右に行けば東海道で直進が中仙道です。
当時の様子
今日の宿に到着!
草津宿のすぐそばにあり街道ハイカーが利用するには最高の立地だ^^
早速チェックイン!
ゴールデンウイーク二日前にネットで予約。格安訳ありと書いてあった謎がとけた^^
窓を開けると電気の設備がドーンと目の前にあり景色が見えないということだ^^
体を休めるのには何の問題も無く最高の宿でした^^
一日目終了・・・・(-_-)zzz
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2013/04/28 東海道五十三次を歩く旅始動!
今日もいい天気だ^^最高!
今日は「草津宿場祭り」が開催されるみたいだ^^
朝早くから準備に追われるスタッフの人達。みなさん笑顔で楽しそうでした
「いい天気になって本当に良かったですね」と心の中で応援させていただきました^^
「東海道と中仙道の分岐点」追分道標
AM 8:50 街道歩き!再びここからスタートです
まずは「石部宿」あたりで昼食を目指します
追分道標から東の方向へ向かいます
草津宿江戸方の入口に建てられた道標(文化十三年 1816年)
「右 金勝寺志がらき道」
「左 東海道いせ道」
.草津宿を振り返って見た風景
栗東市に入ってきました
「老牛馬養生所跡」 立札の内容↓
栗太郡志等に「この施設は和迩村榎の庄屋岸岡長右衛門が湖西和迩村の牛場で老廃牛馬の打はぎをしている様子を見て、
その残酷さに驚き、これから老牛馬であっても息のある間は打はぎすることを止めようと呼びかけ、天保十二年四月当地が東海、
中山両道を集約する草津宿の近くであることから、ここに老牛馬の余生を静かに過ごさせる養生所を設立、県下の老牛馬を広く収容された」
と記されている。
東海道新幹線のガードをくぐる。
なにやら歴史深そうな店だ
そういう事ですか「目川田楽」のお店だ!
「目川田楽」は豆腐の味噌田楽と菜飯を食べさせる名物茶屋の称で、東海道目川立場を中心に諸国に展開した。
『東海道名所図会』(寛政九年刊)に記される。江戸浅草や葦屋町をはじめ、
「目川」を称する田楽茶屋が諸国に存在したのである(目川.おこしーやす.com 参考)
この辺りの街道沿いのお屋敷には当時の屋号なのかな?掲示してある。
ここのお屋敷もだ
目川の当時の様子
目川の街道風景
「目川一里塚跡」
かわいい牛馬発見^^
街道はここで直角に曲る
江戸側から見た感じの道標
実はさっきの直角に曲がる場所を間違えて直進していた。500Mほど引き返す。
街道風景
主に街道は国道1号線に沿っている為、時折見える国道には近代的な文化がある。
常に比べられるのも楽しい材料の一つだ^^
道端に小さな道標があります。
街道風景
「鈎の人跡碑」
街道沿いには新しい住宅地のなかでもこのように案内してある。すばらしい^^
おっと!今度はこんな物が登場したぞ^^
「手原駅」ちょっと街道からはずれトイレ休憩
駅にあった案内板
再び街道にもどる。
手原の街道風景
街道沿いのお屋敷には当時の屋号が掲示してある。ここは 「塩屋」さんだ
街道風景
街道風景
ここは「酒屋」さんだ
ここは「表具屋」さんだ
街道風景
「一里塚」
一里塚にあった石碑。
この辺りに道中薬「和中散」という薬をを販売していた店があるらしい
おおーっ!これが「和中散本舗跡」か。すごい!さっきの石碑の絵とまったく同じだ。感動^^
調べてみると、和中散という名は、徳川家康が腹痛を起こしたとき、この薬を献じたところ、たちまち治ったので、家康から直々付けられた名前だそうです。
また草津宿と石部宿の「間の宿」として、公家・大名などの休憩所も務めたそうです。
本舗前の風景
再び街道を歩いているとまた出てきた。ここは「饅頭屋」だ
歩くすがた(下から)
天気もいいし空気もいい。街道歩き最高!
おっ! 前方から東海道ハイカーが現れた^^
一人記念写真
きたー!「石部宿」!
またまた東海道ハイカーだ^^ なんだか嬉しくなる!
石部宿到着!この近くで昼食を食べたいが食堂らしきものがまったく無い感じ・・・・
まだ三個目の宿場だ^^先がながい
石部宿の風景
おっ!駅だ! 街道から直角左手に石部の駅登場!駅で食事だ!
「石部駅」
食堂があったが日曜日でしまっている・・・。残念。 休憩所にあった東海道五十三次の案内図。すばらしい。
再び街道にもどり食堂があるまでとりあえず歩きつづけよう(お腹すいた)
なるほど、石部宿はそういう作りになっているのか。
おっ!お食事の旗発見!^^
道が直角に曲がっている
きたー^^ 昼飯だー!
うどんとおにぎりを注文!うまそー^^
完食^^
ご満悦
店内の風景。一人東海道ハイカーの方がおられました
店内にあった、あんこのお饅頭をひとつ買って
お店の女将さんに東海道のお話しをいろいろ聞かせて頂き
帰り際ににこんなおやつを頂きました^^超ウレシイ!
食堂前の案内板
「石部宿本陣跡」
「石部宿問屋場跡」
石部宿の町並み
今日もいい天気だ^^
石部宿の町並み
さっきの食堂の女将さんが言ってた「うつくしまつ」はこっちか。
けっこうな見応えがあるそうなのですが。。。。
往復1.8KM ちょっと遠いですのでまたの機会に絶対拝見いたします^^
常夜灯
石部宿の町並み
石部宿の町並み
石部宿の町並み
由良谷川トンネル。このトンネルの上に川が流れているそうです。
トンネルからの街道風景
石部宿一里塚
街道風景
道端の案内板。
今度は、「大沙川トンネル」ここもトンネルの上に川があります。
トンネルの横にたつ大杉
大杉の説明がありました
トンネルを過ぎてすぐに休憩所がありました。
東海道を歩いて楽しむ人や自転車で楽しむ人などの憩いの場^^
このような場所が時折登場するので非常にありがたいです^^
道端に石段発見!そういえばあまり休憩をしていなかった^^
ちょっと一服^^
一人記念写真
街道は「水口宿」へと向かいます
街道風景
街道沿いの道標
「満里小路藤房御墓所 妙感寺の碑」
「三雲駅」の駅前交差点
街道はこのまま東に直進します。
駅前から少し歩くと「横田常夜灯」が出てきた
この先は野洲川(横田川)東海道十三の渡しの難所があるのだ
常夜灯の説明
当時の様子
しかし存在感がある!
「横田の渡し」の凄さが伝わってくる。となると、水口側の常夜灯が気になる
今はこの場所を渡る手段が無いので、一旦少し引き帰し「国道横田橋」を使う
横田橋からの風景
久しぶりに国道を歩いた^^ 近代的な空気だ!しかもコンビニもある。何だこの違いは・・・・
セブンイレブンに立ち寄って、小腹が空いたのでチキンを購入^^
着いた!水口側の「横田の渡し大常夜灯」!
デカイ!超デカイ! 「これはすごいわ・・・・」思わず独り言・・・・
説明の看板
チキンだけでは少し物足りないので石部宿の食堂で買ったお饅頭を頂くことにした^^
大常夜灯をバックに^^
「パク!」モグモグモグ^^ 甘さがこたえる〜^^ 最高!
しかしすごい!
グルリと一周! おおーっ!常夜灯のオーラだ^^
大常夜灯から少し歩くと「一里塚」があります。
いよいよ水口宿の文字が出てきたぞ^^
水口宿へ向かう街道風景
水口宿へ向かう街道風景
何だこの直線は・・・地図で見ると多分 4kmほどありそうだ。旧街道ではめずらしい直線だ
永遠と続いた直線の終わりごろの松並木
なるほど!そういうことか!
いよいよ水口宿に入ってきた^^ 今日の宿がある場所だ。
しかし近代的な建物などがまったくない!、リサーチした時には
コンビニとかマクドとかあるはずなのだが・・・・
おっ!水口宿に入ってすぐの場所に休憩所が!何かパンフレットのような物があるぞ・・・
こんなすばらしいガイドブックが・・・・。
早速読んでみよう^^
ガイドブックによると、水口宿は水口城があり城下町にもなっているようだ
少し早く着いたので時間まで水口宿を歩いてみることにした^^
道端にこのような石柱があちこちにあります。
これは当時の町内名か現在の町内名か・・・・分からない。。。
しばらく歩いて水口城到着!
なるほど。。
水口城風景
水口城風景
こちらにも案内板がありました
「武家屋敷門」
ホテルチェックインの時間が近づいてきたので再び街道に戻り、ホテルを目指します
いやー、しかし、知らない町を歩くのは本当に楽しい^^
すべてが新鮮で発見でさまざまな知識がどんどんインストールされていきます^^
夕暮れの城下町・・・。今日も一日いい天気でした^^
ここにも石柱が
「百闥キ屋跡」発見!明治時代初期という事は、ほとんど江戸時代のままの姿なのかな?
やっぱり僕は文字より写真の方が理解しやすいです。
おっ!曲がり角に「石」発見!
押してみる。
城下町らしく直角の曲がり角がたくさんあります。
街道から外れ100mほど行けば何と!近代的な町に変わってしまった^^
一日中街道を歩いて、突然このような雰囲気に変わればなおさら時代の違いが感じられる。
江戸時代にいて、突然現代にタイムスリップしまた江戸時代に戻れる。
楽しい。実に楽しい。これが楽しいことに実感できた。この瞬間旧街道歩きにまた一歩はまってしまった^^
今日の宿!三日前にネットで予約完了!
この宿も旧東海道から歩いて10分ぐらいの所にあり、東海道ハイカーにとっては最高の立地だ^^
ホテル近くのマクドで晩御飯!もっと地元的なものが食べたかったのですが
なにしろ移動手段が歩きなので・・・・。ホテルから半径100Mぐらいで解決させました^^
夜ホテルのデスクにて明日のスケジュールイメージを・・・・・^^
旧東海道歩き、三条大橋から59.1km
水口宿にて二日目終了・・・。 (-_-)zzz
2013/04/29 東海道五十三次を歩く旅始動!
AM 7:13 ホテル近くのコンビニで一服^^ 今日もいい天気になりそうだ^^ まずは、土山宿でお昼ご飯を目指します!
ホテルから10分程歩いた所の水口宿の街道からスタートです。
水口城下町の朝。。すがすがしいです
「水口中部コミュニティーセンター」・・・の前を通過。
街道沿いのショーウィンドウにあった電話^^
ここの「からくり時計」から道が三叉になりまたすぐに合流します。旧東海道は真中の道のようです
水口宿の街道風景
朝早いので、まだ静かな町並みです
水口宿の町並み
またまた「からくり時計」が出てきました。
おっ!休憩所発見!
トイレ付休憩所です旧東海道沿いにはこのような休憩所がたびたび用意されています。
ここには「旅籠町」の石柱があります。旅籠がたくさんあったのでしょうか
水口宿街道風景
水口宿「東見附跡」に来ました。水口宿を後にします。
「東見附跡の石碑」
次は「土山宿」に向け旧東海道を歩きます
「今郷」に入ってきました
おっ!東海道ハイカー休憩所だ^^
街道への思い
当時の様子を想像いたしております・・・・・
街道はこの辺りで左に曲がるはずなのだが・・・・・と確認してたら。道端に道標が^^
またまた休憩所^^ ここは宿場と宿場の間にある町でおそらく車ではまず立ち寄らない所です
にもかかわらずこのようなりっぱな休憩所が用意されている。すごい!
地元の方の街道を大切に思う気持ちとハイカーにたいするやさしさ。。
しみじみ伝わってきます。
いろんな置物^^
旧家にはネコがやけにマッチます^^
「一里塚跡」
「甲賀市土山」に入ってきました!
「旅籠 東屋跡」の石柱。この町も各お屋敷に当時の商売を示す石柱があるのかな?
旧東海道は歩道橋を使い国道1号線をまたぎます
しかし京都以来何度国道1号線をまたいでいるそだろう^^
街道風景
やはりこの町にも屋号が^^ 「ひょうたん屋」
「反野畷」の道標。江戸時代に川の拡張工事をした場所らしいです・・・・
いい天気だ〜
「一里塚跡」
土山は「土山茶」の産地です。いたるところに茶畑があります。
土山茶の歴史は南北朝時代にはじまり、江戸期以降に生産量が拡大し、現在では栽培面積ともに県下一だそうです。
横を見るとローソンの看板が目に入ってきた!
街道から50M程外れるとこのような現実が突然現れます。コーヒーとたばこ休憩^^
旧東海道はすごくスケールの大きい歴史テーマパークで遊んでいる感覚だ
国道1号線をまたまたまた横切ります
茶畑が続き「松尾の渡し跡」に向かいます
「松尾の渡し跡」に到着!いまは渡れない。
何か石碑を発見!
「坂は、照る照る鈴鹿は、曇る あいの土山雨が降る」と書いてある
鈴鹿馬子唄(すずかまごうた)だ。
鈴鹿馬子唄とは、三重県の民謡で、鈴鹿市付近の馬子唄。関の小万・丹波与作の伝説にまつわる流行歌が、
鈴鹿峠越えの馬子たちによってうたわれたものだそうです。
「松尾の渡し」は今は無いので一旦国道に引き替えし「白川橋」を使い川を渡ります。
白川橋から見た「松尾の渡し」があったであろう風景
となると、反対側の「松尾の渡し跡」はどうなっているのか?行ってみた!
こんな感じです。
旧東海道の「松尾の渡し」は通れない事の案内と迂回路の地図がありました。ハイカーにやさしい^^
街道風景
旅籠「追分屋」跡 この辺りから土山宿に入ってくるのかな?
「土山宿」京方入口!
「土山宿」到着!昼飯だ!
街道沿いにあった「土山宿」案内図
土山宿は徳川幕府の直轄地だったのでここに(土山宿陣屋)代官が詰めて、宿場を治めていたそうです。
ここは「大黒屋本陣跡」と「高札場跡」と「問屋場跡」です。
宿場の雰囲気満載^^
「土山公民館」東海道ハイカーの休憩所にもなっているみたいだ。が、閉まっていた・・・
土山宿風景
「土山宿本陣跡」
当時の宿帳など貴重な資料などたくさん保存され、そこには「勝海舟」など幕末の志士の名前も見られるそうだ。
「伝馬館」時間があればゆっくり行ってみたいです・・・・
「脇本陣跡」
旅籠「平野屋」発見!ここは森鴎外が墓参りの時に泊まったそうです
「平野屋」前の看板
旅籠「井筒屋」 森鴎外の祖父、森白仙が参勤交代に従って江戸より旅の途中、病のためここで息をひきとったそうだ。
土山宿の町並み
「一里塚跡」
「扇屋伝承文化館」発見!無料だったのでちょっと入ってみる^^
土山宿において、江戸時代に扇や櫛を販売していた商屋「扇屋」を地元の北東区が購入し、地域文化の伝承と東海道を散策する人々の
憩いの場となることを目的に、地域有志の住民がボランティアで改修。館内では、扇屋に残されていた「お宝」や地元工芸品の展示、
また土山宿特産品の販売が行われ、さらに日曜日には、新名物「いく野そば」をご賞味いただけます。(滋賀県観光情報より)
「櫛」。当時のものだと思われます。
館内の様子
館内の様子
館内に掲示してある案内と絵。この絵が当時の様子を想像させてくれます^^
やっぱり旅人の容姿に目が行ってしまいます^^
「扇屋伝承文化館」を後にし再び土山宿を歩きます
ここで「土山宿」の宿場はおわりみたいだ。
土山宿は東海道の歴史についてすごく上手にアピールされているように感じました。
記憶にのこる宿場になりそうです^^
宿場を抜けたところに「道の駅 あいの土山」登場!さあ昼飯だー!
いろいろ迷ったが「きつねうどん」だけに決定!
なぜならば売店で美味しそうなおむすびと団子を発見したのだ^^
ここでうどんだけ食べて、これから越す「鈴鹿峠」あたりでそのおむすびと団子を楽しもうと考えまして・・・^^
じゃーん!おむすびと団子GET!
うどんを食べ終え、道の駅向かいの「田村神社」横の旧東海道を進みます!
「田村神社」の風景
「高札場跡」
おーっ!この橋は!「歌川広重」の絵の場所だ!
ここの絵だという事です!
田村川の橋の近くにあった高札
「かにさかこせんじょうあと」
天文11年(1542年)9月、伊勢の国司北畠具教は、甲賀に侵入しようとして、彼の武将神戸丹後守および飯高三河守に命じ、
鈴鹿の間道を越えて山中城を攻めさせた。当時の山中城主は、山中丹後守秀国であり、秀国は直ちに防戦体制を整え、
北畠軍はひとまず後退したが、直ちに軍政を盛りかえし、さらに北伊勢の軍政を加えて再度侵入し、一挙に山中城を攻略しようとした
このため秀国は、守護六角定頼の許へ援軍を乞い、六角氏は早速高島越中守高賢に命じて、軍政五千を率いさせ、
山中城に援軍を送った。一方、北畠軍も兵一万二千を率い、蟹坂周辺で秀国と合戦した。この戦いは、秀国勢が勝利を収め、
北畠勢の甲賀への侵入を阻止することができた。(土山町教育委員会参考)
工場らしき場所を通過
間もなく国道1号線に合流です
国道に出る直前の公園。
東海道ハイカーへの案内板です!歩き人目線に感動^^
「蟹カ坂」の次の村は「猪鼻村」です。鈴鹿峠までに幾つかの村を通過します。
猪鼻村の旧東海道風景
おおー。ここにも旅籠があったのか・・・。公の宿場町から離れている村なのに・・・?。
このあたりは、土山宿と坂下宿の中間ぐらいっぽい場所だ。。どういうことだ・・・・幕府非公認の宿場町?
なにやら「猪鼻村」について書いてあるぞ
ちょっと読んでみる・・・・・・・なるほど!そういうことか^^
「猪鼻村」を抜け鈴鹿峠を目指し歩きます
今度は「山中」という村だ
道標発見
ちょっと読んでみる・・・・。なるほど
山中の村の風景
「地蔵堂」
見てて気持ちがいい^^ おだやかです。
旧東海道はこのあたりから国道を外れます
ここからだ
いい感じ
横を見ると「古道」発見!最近、普通の山道と古道の見分けが何となくわかってきた気がする^^
気のせいかな^^
「鈴鹿峠」頂上到着! 僕が参考にしている東海道ハイクガイドブックを発行している方の記念植樹みたいです。
トイレ発見!しかも超キレイ^^ お世話になりました^^
おーこれが「鈴鹿峠の万人講大石灯篭」か!
ちょっと読んでみる・・・・
「旧東海道鈴鹿峠」頂き!団子と記念写真!^^
「土山宿」で買ったおにぎりと団子!
只今 14:06 ちょっと早いですが3時のおやつにします^^
再び歩き出す。ここから土の道に変わった。
道標発見!新しいものです。滋賀県と三重県の県境を示しています。
おおー!リアル街道だ!^^
土の街道に気持ちが高ぶってきたぞ^^
おおおーっ!古道峠だ!
峠の石垣です。いつの時代のものだろう?
途中にあった「馬の水飲み鉢」。
街道は国道1号線の鈴鹿峠の下を通っています
おおおおーっ!「石畳み」だ!感動!
かつてこの辺りに「坂下宿」があったそうですが 1650年の大水害で壊滅したそうです。
「鈴鹿流なぎなた術発生地碑」
鈴鹿流(すずかりゅう)は、薙刀術の流派のひとつ。鈴鹿家直を流祖とするが、鈴鹿流では、
この人物を天真正伝香取神道流の飯篠家直と同一人物であると伝える。
影山流第8代の松浦正威が鈴鹿流第3代を継承したことにより、影山流と併伝され、影山流とともに仙台藩に伝わった。
その後、影山流の吉田有円が鈴鹿流のみを継承して、影山流とは別に伝承された。確証を得ないが、元来、鈴鹿流という薙刀の流儀はなく、
仙台藩へ伝えられた「静流」が、東北訛りで「すずかりゅう」と発音され、それに「鈴鹿」の文字を充てた可能性が高い。
流祖が曖昧になっているのもそれが原因と思われる。鈴鹿御前を祀る坂下宿の片山神社には、「鈴鹿流薙刀発祥の地」を示す
石碑が建てられている。対外的な活動はほとんどしていないが、現在も伝承されている。(wikipedia参考)
「坂下宿」へと峠を降りて行きます
途中、坂下宿と鈴鹿峠の案内板がありました。
一旦、数百メートル国道を歩きます
ここにも旧東海道の看板が^^ すばらしい
いよいよ「坂下宿」に入ってきました^^
「身代わり地蔵」
大名行列を横切った子供の身代わりになったお地蔵さんだそうです。
車は山の上の国道を通り「坂下宿」は車もほとんど通らないひっそりそした村の印象です
「脇本陣跡」
「本陣跡」
「本陣跡」
室町時代には「坂下宿」として機能していたそうで、とてもにぎわっていた宿場だったそうです
鈴鹿峠の難所を控えた参勤交代の大名の宿泊も多かったそうです
「本陣跡碑」
ほんとに静かな「坂下宿」
「鈴鹿馬子唄会館」があります。
「沓掛本郷」あたりはむかしの雰囲気が感じれます。
「坂下宿」を後にし、次は「関宿」に向かいます!
しばらく国道1号線を歩くと、「筆捨て山」の看板がありました。
あまりのすばらしい景色に絵師も筆を捨てて見とれてしまったところから
この名前がついたそうです
旧東海道はここから国道を渡り「西願寺」へと向かいます
「西願寺常夜灯」
西願寺前から再び国道を渡ります
「市之瀬社常夜灯」
市之瀬の街道風景
再び国道に出ます。ここにも旧東海道看板が^^
東海道五十三次、四十七番目の宿場町 「関宿」 に到着!
「西の追分」
おおっ? 休憩施設?
ちょっと覗いてみる・・・・
おーすばらしい! 自由に上がって休憩をしてもいいみたいだ!
「ああーごろんとしたいーーー!」
布団箱?
家の中の「井戸」。当時の様子が想像できます。
おおー。なんかいい写真が撮れた^^
ちょっと読んでみる・・・・。
休憩施設を出て関宿の本陣方向へ向かいます
旧東海道は時々でっかい動物に遭遇します^^
だんだん宿場っぽくなってきたぞ^^
まさに「江戸時代」!
「会津屋」
関宿を代表する旅籠のひとつだそうです
「高札場跡」とそこにある郵便局
おお?なにやら伝統的な和菓子屋さん発見^^
お店の前の看板を読んでみる・・・・
「関の戸」を入手だ!
「関の戸」GET!
おおーこれが江戸時代から変わらない餅菓子か!どんな味がするのだ?超楽しみだ!
現在も昔からの伝統からか皇族の方の引き出物にも使われているそうだ
旅籠「玉屋」
玉屋は「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの、関宿を代表する大旅籠のひとつです。
江戸時代に建築された貴重な旅籠建築に、当時使われていた道具類や、庶民の旅に関係する歴史資料などを展示して、
江戸時代に栄えた旅籠の姿を再現しました。また土蔵では「東海道五十三次」で有名な歌川(安藤)広重の浮世絵を展示しています。
(関宿イラスト案内図より)
玄関に犬
「伊藤本陣跡」
「川北本陣跡」
なんだなんだ?
ちょっと読んでみる・・・。えっ「関の山」って言葉はここ発信なのか!
「中町三番町山車」(なかまちさんばんちょうやま)
「関の曳山」は、旧東海道関宿に江戸時代の元禄年間(1688-1703)から伝わるお祭りです。
最盛期には十六基もの山車があり、横幕・見送り幕・提灯などを豪華に飾りつけて華美を競い合い、
また、笛太鼓で祭囃子を奏でながら、家々の軒先をかすめ、人ごみをかきわけて巡行する様から、
「この上は無い、精一杯である」という意味で用いられる「関の山」という語源になりました。(以下省略)
山車の写真を撮っているつもりが・・自分を撮っている^^
関宿の町屋の特徴は平入りの二階建が一般的だそうで二階前面を土壁でおおった塗籠のものだそうです。
かわいい「くるくる」
この曲がり角を南の方向へ進み「関駅」へ向かいます!
「関駅」到着!
関の宿場町のすぐ近くにありかなりハイカーにとっては便利です^^
電車待ち・・
今回の「東海道五十三次を歩く旅」はここで終了です!
三日間「京都三条大橋から関宿」まで歩き、すべて予定通りに行きました^^
初めて旧東海道を歩いた感想は
「スケールの大きい歴史テーマパーク」
そんな感じです^^
今年中に江戸の日本橋を目指します^^
次回が楽しみ・・・・・
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